幸せ?

この世の中、本当の意味で幸せを実感できる瞬間がいくつあるだろう。
ふんわりした布団、静かな部屋、春の暖かいお日さま、美味しいご飯
私は今、初めてこのようなことが本当の意味で幸せなんだと噛み締めている。
私は恵まれた家庭で生まれ育ち、母と父に愛されて育った。幼い頃はサッカー、勉強、キャンプや旅行、不自由なく育ててもらえたと自負している。
でも毎日が必死だった。サッカーの試合、学校のテスト、目の前の課題をこなすことに精一杯だった。ドッジボールが楽しい、ご飯が美味しい、テストの点を取れて嬉しい、キャンプが超楽しい。サッカーは楽しいんだけど、コーチに怒られないように褒められるようにしていた、褒められることが嬉しかった。親が試合を見に来て自分のプレーを見るのは嫌だった。コーチに怒られるのを見られるのが恥ずかしかった。
そう、私は常に目の前の課題をこなしていた。そこに喜怒哀楽の感情はあったけど、
それが「幸せ」であることに気づく余裕は無かったのだ。
思春期になると吃音症であることが自分の中で確実となった。また、当時から体格が細かったことや顔にホクロが多かったことなど、年頃の悩みを抱えたりもした。なので自分に自信がなかった。自分を誇らしく思えなかった。恋愛もしていない。好きな女の子はいたけど、チャレンジできなかった。サッカーはその中で唯一自分が輝ける場所であった。でも、サッカーの中でも自分が楽しかったり嬉しいと感じる瞬間っていうのは、コーチや監督、まわりのみんなに褒められた時だった。その感情は、他人から認められた瞬間だった。

高校はサッカー部の強い高校を選んだ。練習は体力的に厳しいものだった。皆んなで乗り越えた瞬間は何にも変え難い達成感があった。この瞬間は確かに幸せだったなと今でも思う。
他人からの目線や評価を気にすることは変わりなかった。先生に褒められなければ不安になるし、自分がミスすれば周りが自分にどれだけ落胆しているか計り知れず怖かった。サッカーという競技の中のミスでも、僕自身という人間が批判されたり仲間外れにされないか怖かった。
僕は自分のためというより、他人から褒められて認められたいために頑張っていたのかもしれない。他人のために頑張っていたというのならそれは悲しいものだ。
そして吃音症も辛かった。例をあげ出すとキリがないが、職員室に入って先生を訪ねる挨拶が地獄だった。恥をかきたくなかったからなのか、呂律の回らない自分を見られて人権を失うことが怖かったのかは今でもわからない。大学は国家資格を取得するために医療大学を選んだ。母親のすすめであった。私自身が内向的であること、こだわりは強いが勉強が真面目にできることや他人に誠実だからだろう。僕自身も進路に悩んでいた、というか働くことを全く想像できなっかたのもあって、いう通りにした。
4年間、専門知識の勉強と実技のため病院に実習しに行った。テストが多かった。テストに受かるというわかりいやすい目標のおかげで、勉強に没頭できた気がしていた。実習も受かるために頑張った。この頃から自分の吃音は社会でやっていくには厳しいだろうと自覚していた。コミュニケーションが円滑に出来ない場面が多いのもあり、苦戦した。だから、本当はカフェとか明るい場所で働きたかったけど、スーパーの品出しとか接客を必要としない場所で働いていた。
傷つきたくなかった。実習での吃音は社会人になってからの生活を彷彿とさせた。思えば、自分はその資格を取ったとして、その職業でずっと働いていけるほどの熱量はハナから無かったのだ。国家資格であること、人を助ける仕事であること、親のすすめであるということ、それくらいかな。まともに働けないだろうなと思いながらも、国家資格に合格し、晴れて理学療法士の新卒社員として地域の中ではレベルの高い病院に就職した。

就職してから半年、職場を辞めた。理由は吃音での消耗だ。それと勉強会に割く時間が半端じゃなかった。いわゆる、ライフワークバランスというやつなのか。時間と労力を鑑みて、「不幸」だったのだ。他人は言う。どうやら自分は他人から見れば吃音に見えないらしい。上手く隠せていたのだろうか。しかし、僕自身吃音のせいでそれはもう、精神をすり減らした。だれがなんと言おうとね、辛かったんだ。僕は吃音が理解されない世の中を恨んだりしたことは一度もない。
社会は回らなければならない。どんな理由でも、その回転を邪魔するものは排除するべきであると思うから。理解なんて、当事者にしかわからない感覚を他人が知覚することは物理的に不可能だし、配慮なんてしてる暇も必要せいも社会には無い。社会は義務教育とか幼稚園みたにやさし場所じゃ無いしそうある必要性はない。

仕事を辞めてからは幸せだった。実家に居たので、寝床やインフラ、食事にも困らなかった。
私は初めて自分の人生を自分で決断したのだ。サッカー、高校、大学、進路、全て母親のすすめだった。僕は母親が大好きだし、信頼しているし、疑うことはなかった。
そんな僕が初めて、自分で決めた道を歩んだのだ。実家に居させてもらえたことはありがたいことだった。6ヶ月間、ニートをした。寝たいだけ寝た。友達にお金を借りて、タイに旅行に行った。時間を気にせず、自然に触れ日光を浴びた。これは間違いなく幸せだった。でも、ニートであるということは家族や、これから出会うかもしれない誰かも知らない人から白い目で見られるかもしれないと片隅にあった。

それから、アルバイトを初めて今日まで約2年が過ぎた。もう2年もアルバイト生活をしている。実家は不動産に売られ、家族は解散。今は親戚の持ち家を借りて1人暮らしをしている。
今のバイトは適度に接客があり、適度に明るい職場だ。お客さんが自分磨きをする場所なのもあり、これから頑張る人に説明や案内をすることは前向きで楽しい。特に、海外のお客さんへの接客は英語を使ったりオープンな雰囲気で接することができるのでたまに来た時は楽しいなって思う。同じバイトでたまに性格が合わないイマドキの学生が居たりすることを除けば、はっきり言ってオアシスだと思う。繰り返すが自分は吃音に加えて不注意やマルチタスクが苦手なのもあり、そのスペックから単発バイトやその他、よく戦力外扱い、ポンコツ扱いされてきた。だからこそ、自分のスペックはわかる。でも、誰にでも輝ける場所はあるんじゃないかなとも思う。
今はアルバイトなのもあり、比較的責任の少ない仕事を担当している。もちろん、責任感を持ってる。でも、自分は25歳。25歳のアルバイトって世間的に厳しいのだろうな。この2年間、彼女を作ろうとマッチングアプリをしたことがあった。結果は惨敗で、いくつかの女性に弄ばれて終わった。深く傷ついたし、それで一皮剥けれたこともあった。彼女作る前に仕事探したらとも言われた。バイトに人権はない、そんな意見もあって当然だと思う。それ以外にも色々あった。

でもそうだ。やっぱりバイトに人権は無いんだろう。25歳男性、アルバイトはモテないのだろう。モテを基準にするのは辞めよう。

俺は今、本当に幸せだと心から噛み締めていると思う。それは色々苦しい思いをして、それが終わって、助けられて乗り越えたからわかったことなんだ。
ふんわりした布団、静かな部屋、春の暖かいお日さま、美味しいご飯が幸せだと今ならわかる。

これが本質的な幸せであると思う。今あるものに感謝できている。
僕は将来子供を望まないし、今みたいな暮らしがずっと続けば幸せだと思う。
でも彼女は欲しい。男性としてそこは切っても切り離せない。
正社員にならなければならないのか?

だいたい、スーツを着たくない。リスペクトの持てない企業で興味のない商材を扱うのも億劫だ。社会の波に揉まれるのは絶対に嫌なんだ。いい大学を出て、いい企業に就職して、結婚して子供を産んでマイホームを建てて?f○ck.そうやって社会のあるべき姿だとか押し付けに従順になって自分の中の自分を押し殺したくないんだ。朝の満員電車を見ればわかる、奴らの目に光がない、あれを見てとても幸せそうには見えない。実際に日本人の幸福度のピークは20代から低下し80代が最も幸せらしい。それって、学生が終わってから不幸になっていって、退職後の老人になって1番幸せってことでしょ。クソッたれ、馬鹿げてると思う。

俺は目を輝かせた人生を送りたい。彼女はマジで欲しい。けど、自分の生きやすいように生きたい。自分に嘘は付きたくない。今本当に幸せだ。去勢するべきなのか。女は金がある男を選ぶのか。現実だよなそれが。誰か、本質的な幸せを共に理解できて共に過ごせるガールフレンドはいないかい。それとも俺は今の幸せをクラッシュしてコンフォートゾーンを抜け出して、また他者からの目線のために自己犠牲を払うか。何かを頑張っている者はかっこいい。目つきが違う。
ストレスのない世界は快適だが、その表情はどこか甘く、幼い。厳しい世界に居る人は顔つきがなんだろうな、厳しく優しいんだ。俺もそんな風になりたいと思うのだがな。

どうだろう、いい企業に就活して出会えれば今ある幸福と欲しいものの両立ができるのかな。
こうやって想いを書くことも何かに繋がるといいな

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