背景
僕は、個性のある人間だ。
得意なこと、不得意なこと、ハッキリしている。
例えば数字を扱う事務作業や、複数のことを同時にこなすことが出来ない。
エクセルのような小さいマスを見ていると自分がどこを見ていたのか見失うことはよくあるし、
作業の途中で話しかけられたりするとミスをしたり何かが抜けたりする。
逆に、誰かが気持ちよく話せるように傾聴すること、話し手が上手く言葉に出来ない感情を引き出すこと、複数のアイデアを短時間で発案できることや、ややこしい文章を端的にわかりやすくまとめたりすることは人より得意だ。
苦手なことや得意なことは所詮、社会に出て周りの人間と比べることで分かった。
僕は今までスポーツチーム、学校、今は会社という組織に属している。
そこで、「自分は周りと違う」と感じる瞬間をたくさん経験してきた。
良い面も悪い面も、目立つことや浮くことがあった。
浮くことのほうが多かった。いじめられるとまでは言わないが、仲間はずれや一目置かれることはある。僕は感じていた。自分を認めてくれる人と、認めてくれない人がハッキリしていること。すなわち僕は、好かれるか嫌われるかということ。
マウントから考えられる個性と能力
会社や組織で浮くこと、一目置かれることが多かった。
そんな中で、よくマウントを取られるのだ。
仕事の内容から、プライベートな内容まで様々。理解できる。そもそもオスという生き物は
マウントを取りたいと思う生き物で、他のオスと争い、より強いオスが生き残る。
他の人に自分が強いことをアピールして、「俺は強い!生きているぞ!どうだ見たか?」
と誇示することは自然の摂理だと思う。でも、会社や組織でそれを日常的にされると、
良い気分にはならない。自分にないものを見せつけられると悔しいし、だんだん自分が惨めになってくる。「俺は資産が7000億円あって、来週は火星に行くんだ」とか言われれば、素直に羨ましいと感じるだろう。でも会社とかで取られるマウントは、絶妙に悔しいのだ。
しかし、強者は弱者にマウンティングしない。マウントなど取らずとも、自分が強者だと理解しているからだ。例えば、飼い主がペットの犬に対して、「人間にもなれば飛行機で空だって飛べるんだぜ?すごいだろ?」なんて自慢はしない。負けたくない時、危険を感じた時や拮抗する相手にマウンティングする。これは生物の本能だ。
なら、社会でのマウントは強者から弱者に向けて行われるものではないだろう。
負けたくないとき、相手に自分を大きく見せたいか、単に自分が気持ちよくなりたい時だと思う。そうなると、マウントやそれに派生する嫌味を言われているということは、思わず危機感を覚えるような個性であったり、波に乗られると不都合になるため潰しておきたい能力を感じたということだと考えることができる。
注意/指導 との違い
マウントを取られる人は個性や能力を周りが感じているからと述べた。
でも実際はマウントではなく、単なる注意でもある。ミスや至らない点を注意されるのは当然だ。叱られるようなことがあれば、このハラスメントの時代に叱ってくれた上司に感謝すべきだ。見極める点は、それが指導や注意なのか、嫌味かマウントなのか。前者の場合はこの記事で言う個性とか能力の有無とはまた違ってくる。ちゃんと聞くべきだ。
個性や能力は価値となり武器になる
個性は武器になる。希少だからだ。
無個性が武器にならないわけじゃない。平均的な能力は組織で必ず役にたつ。
ここで言う個性とは、得意と苦手がハッキリしている人のことだ。
苦手な部分では劣等感を感じざるを得ず、自信や尊厳を失うことがある。
ただ、得意な部分で見るとどうだろう。得意な部分を生かすべきである。
あなたが出来ないこと他人は余裕でできる。でも周りが出来ないこと、あなたはできる。
それは価値がある。武器になる。武器は活かせる環境で活かすべきである。ダイヤモンドの刀は遠距離では不利だ。届かない。ミサイルが必要だ。刀は近距離に強いのだ。
誰にだって個性がある。個性が無いのもそれは個性。その個性と自分の能力は、誰かと比べないとわからない。それは探して見つかるものである。
「あなたにお願いしたい」
そう言われたらいいね
自分らしく生きるために
目は濁っているより、輝いている方がいい。
絶望より、少しでも希望があるほうがいい。
自分は周りと比べて、どうなのか。
何が出来ないけど、その代わり何が出来るのか。
自分らしく生きるために、やりたくないことや辛いこと、やるかもしれないけど。
個性があっていい。きっと強みになる。
それを見つけて、挑戦して、自分らしく生きよう。







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